スガシカオさんのプログレスという曲に、本当の自分はもうちょっとかっこよかったけど、なんて歌詞がありましたね。

ゆずだとか、色々応援ソングはありますが、スガシカオさんの方が、僕にとってはサウンド的にもリアルで好きですね。



親の発言をしっかり受け止めなくてはと思い過ぎているのかもしれませんが、結局、あの時の親の顔を見てしまってから、どうしても、期待に応えなくてはと思うのと同時に、自分らしい生き方というものへの焦りもあります。

ただ、それはある意味、中年になってやおらリアルに感じる事でもあるのです。

中年になると、若い時のその盛りのような希望から、安定の時期に入って来るのはよく分かります。

確かに冒険はしなくなりました。何をすればいいのかがよく分かって来ますし、本当の所、こういう楽しみ方もあるのだと分かって来るのです。

同時に若い時のような、何かの達成感を未だに感じられないのです。

自己肯定感が、余りにも乏しいのかもしれません。



親父が本当に息子を諦めているように感じていました。

あれは、母から見ると、父のプライドなのだそうです。家庭を守ってあげなくてはという気持ちが、子供に弊害になっているのもあります。

話は変わりますが、動画でメタリカのエンターサンドマンを聞いています。

メタルって余り好きではなかったのですが、空耳アワーで、「千代田生命に行こう」のフレーズが面白くて、元の翻訳された詞を見ていると、笑いが起きますね。



ある日、こう親から言われました。

お前の事を真剣に考えているんだよ、とそう言われました。

うつなのかもしれませんが、そう言われた時、気持ちが返って硬くなりました。安心感もありましたが、同時に、束縛感も感じたのです。

今回の喪失感で、親は息子になんとしてでも、ちゃんと生きて欲しいと思い過ぎてしまったのではないでしょうか。

それが良くも悪くも出ているような気がするのです。



又、本当なら僕自身も、自分で生きなくてはなりません。

誰かがこう言っていたのを思い出します。自分1人で生きていて楽しいと思える人生の方がかえっていい、とそれは僕もとても思います。

友人や奥さんやそれに頼っている自分がいないかと思う事があります。

1人の人生ですから、自分らしさに誰かを頼ってしまうのは、間違いではないかと思った時、何に依存しているのかと思う事があります。

それは親ではなく、結婚だとか他人に関してです。

話はそれるのですが、トクホンをずっと両肩に貼っていたら、被れて、痒くて仕方ありません。職業病なのでしょうかね。

肌が弱いとはよく言われますけど、このままだとどうしようかなと思う事もありますね。



他人は他人です。強い生き方をしてきた人は、やっぱり弱い人の気持ちが分からないのです。根幹として他人に他人が理解しようとする事は無理です。

全て違う人生であり、色々な思いをしてきたのが人間ですから、やっぱり苛めていたような人は強く生きられるのでしょう。

だから他人は他人って、この人はこの人って思ってしまうと案外楽なものです。



ですが、その人達によって、うちの母親がとてもつらい思いをして、本当に老人性うつのようになってきたのは、見ていて、子供としてもとても辛いものでした。

良い悪いというより、何でこうなったのだろうと思ってしまうのです。気持ちの上でです。



他人なのに、親はその人をずっと20年間信じていたのに、裏切られてしまったという喪失感が、物凄かったのは想像してほしいと思います。

僕に関しては、別にうつで倒れてから、ずっとそう思われていたからある意味、理解出来ているのですが、親にとっては本当に辛いのでしょう。

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